3.11に思う。

      2015/02/14

あれから2年。

今日は忘れることができない3月11日です。

あの日、私は下妻市の倉庫にいました。

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3000坪の倉庫です。

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2階から見たデバンニング(荷下ろし)中のコンテナ

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こんな風にタイヤが積まれています。

 

このような倉庫で作業中にあの日はやってきました。

地震直後の映像 008

地震直後の倉庫内の状況です。

地震直後の映像 007

倉庫全体が揺れ続け屋根のスレートが完全にずれてしまいました。

この後、雨漏りのため、ブルーシートを貼りました。

ブルーシートも品不足になっていました。

地震直後の映像 003

倉庫の壁、サイディングが剥がれ落ちました。

地震直後の映像 010

窓の開閉装置が勝手に開き、ガラスが全て割れました。

地震直後の映像 006

倉庫のモルタルも剥がれ落ちました。

地震直後の映像 002

 

あまりの大きな揺れに倉庫が崩れるのではと思ったほどです。

幸いなことは、倉庫で作業していたスタッフが全員無事だったことです。

 

倉庫の被害も然ることながら、震災の跡が大変でした。

倉庫の修理はもちろん、津波で被害を受けた福島の原発に対して、

荷主が茨城は隣接県だから20万本以上ある在庫が出荷できなくなる

かもしれないとという理由で出荷を急がせ、入庫を全て止めてしまいました。

 

倉庫は、入出庫手数料と保管料でまかなっていますが、その在庫を

どんどん出荷のみすることになりました。

倉庫の家賃にもならない在庫状況に追い込まれ、本業の車両を売却

手放しました。

 

私は荷主に「下妻は大丈夫ですよ」と言いましたが、受け入れられず

そのために、茨城県の工業技術センターにお願いして、タイヤの放射

線の測定結果を示すために行きました。

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タイヤに放射線がかかっていないかの検査です。

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こうしたことまでやって、3ヶ月後からやっと入庫されることになりました。

 

工業製品を輸出できなかったことや、海外に脱出された方もいましたが、

そんなことを考えると、被災地から遠く離れた場所にいる方には、

見えない風評被害は、わからないものかもしれません。

 

東北の方の苦しみはもちろん、茨城も大きな被害を受けました。

その陰に隠れてしまい見落とされがちですが。

 

農林水畜産業をはじめとして、被災地の多くの方が今も苦しみに耐えながら

そこに生活していかなければならず、明日への希望を持って生活して行くために

一日でも早い復興をしていかなければなりません。

 

安倍総理の言葉を借りれば、

『 そして全国の皆様。ボランティア、ご寄付、東北

産品の購入など、何でも結構です。それぞれの持ち場で、東北の復興のために

力を尽くそうではありませんか。

「夢だけは 壊せなかった 大震災」

震災のあった一昨年、宮城県女川町のある中学生が詠んだ俳句です

大きな夢を胸に、ともに進みましょう。』

 

私も自分に出来る事を微力ではありますが、今まで以上にこれからも

その活動を続けて行きたいと思います。

 

2年が経った今日、決意をあらたにしています。

 

 

 

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