母の日

   

今日は母の日ですね。

何か贈るべきかな?

色々な事を考えていると、色々なコトを思い出しました。

 

今回は母親との思い出を語りたくなりました。

 

母親の生まれは昭和2年です。

母親が子供の頃は、「尋常高等小学校」にも家庭の事情で

ろくに行けず、親戚の子供の子守や、家事の手伝いをして

育ったといいいます。

 

口癖のように言っていたのは、運動会の時、他の子供たちが

(紺や白色だったのでしょうか?)ブルーマを履いてる時に、

ひとり、赤い毛糸のパンツをはかされて、かけっこをしたんだと

聞かされてきました。

 

「恥ずかしくなかった?」と私が聞いたことがありましたが

『貧乏で赤いパンツをはいているかもしれないけど、

かけっこでは、一等賞をとって笑ったやつを見返してやる!』と

誰にも負けなかったことを自慢げに話す母親を思い出します。

 

その気性の激しさからか、貧乏からか、しょっちゅう親父とは

喧嘩をしていました。

 

喧嘩するほど仲がいいと言いますが、母親は子供5人を産み、

自分が学校へ行けなかったからか、子供には惜しみなく

勉強するよう、大学へ子供たちを行かせたくて

親父と喧嘩していたのでした。

 

そんな母親に育てられた私ですが、子供の頃は元々、

落ち着きが無い子供だったらしく、学校の勉強の嫌いな

頭の悪い子供でした。

 

兄や姉は必ずと言っていいほど、学級委員などに選ばれる

クラスの中でもそこそこ目立つ子供でしたが、5人兄弟の

末っ子として生まれた私は、その兄弟ではないんじゃないかと

思うぐらい、なんの取り柄もない子供でした。

 

兄弟からは、橋の下に捨てられていたのを拾ってきたんだとか、

もっと勉強しないと将来困ることになると、毎日のように

説教されるような子供だったのですが、母親だけは『広司は

大器晩成だから、大丈夫なんだ』と兄弟からいつも、かばってくれて

いました。

 

私はといえば、「そうだ、そうだ」、「たいきばんせいなんだ!」と

言っては、ひらがなだらけの家計簿をつけている母親の後ろに隠れて

いるような子供で、母親は困ったものだと、本当は思っていたに違い

ありません。

 

母親の特技?は、人の誕生日や、行事の日程時間や過去の

様々な事柄の年月日の記憶力の高さでした。

親、子供、兄弟はもとより、親戚の人たちの誕生日や、結婚記念日、

親父の飲みに出かけた日まで記憶しているほどでした。

 

記憶力の高い母親が今、認知症のため病院に入院しています。

 

喧嘩するほど仲の良かった、親父は晩年、母親の介護に明け暮れ

一足先に旅立っていきました。

 

母親が言ってくれた意味とは違いますが、「待機?晩生」の私も

今日は母親のベッドの横で、せめて「生んでくれたことに感謝」している

ことだけでも、伝えられればと思っています。

 

それではまた

THANKS!!

GREAT MOTHER

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